2014年4月2日水曜日

F-35という戦闘機

日本ではジェット戦闘機のことなんて、自衛隊関係者か、さもなくば軍事オタクやマニアでもなければ、ほとんど知られていない。ぼくもそうだったのだけど、何年か前に外国人から「武器を知らずに『戦争反対』なんてナンセンス」と言われて、それもそうだと思った。それ以来、少しずつ、戦争のシステムを気にするようになったのだが、最近、特に気になってるのがF-35という開発中の戦闘機だ。



F-35は米国のロッキード・マーチンを中心に開発されている多機能なステルス機(レーダーに映らない)で、とても高度に電子化された最新型の戦闘機だ。大きくわけてF-35A、F-35B、F-35Cの3種類があって、Aを基本としてBは垂直離着陸ができるようなジェットノズルが付けられているタイプ、Cは空母に搭載するタイプ。いろいろあるけど、日本はF-35Aを導入することを決定した。
問題は、このF-35の開発が難航していて、どんどん完成予定が延びていること、それに伴って開発費も膨れ上がり、最終的な価格も当然高くなる。本来、多国籍開発体制で、従来より安くできる、という売り込みだったはずなのだから、逆に高くなるというだけでも失敗なのだが、当初の価格の二倍以上になっているのだから、それだけでも大失敗といっていい。
普通だったら「失敗したプロジェクト」として放棄されてもおかしくないほどトラブル続きなのだが、すでに諦めるわけにはいかないほど莫大な資金が投資され、開発プロジェクトに参加している企業や共同開発国のことを考えると、「大きくなりすぎて潰せない」という。
日本もF-35は購入計画だけでなく、このプロジェクトには少なからず関与していて、IHIや三菱重工が製造に参加しているほか、F-35の整備センターを 日本に作る計画もあるらしい。
ちなみに、整備センター(という名前になるのかどうかはともかく、整備工場みたいな施設)というのは、普通の整備工場とは異なるF-35特有のブラックボックスの交換や、飛行のたびに必要になるステルス塗料の塗装などを行うF-35に特化した施設だという。
 

さて、日本にとっての問題は、まずF-35の価格があまりにも高価である上に、日本企業が莫大な投資をしていること、そして ライセンス生産の予定もあるということで、日本としては最初から引くに退けない選択をしてしまったということだ。F-22やユーロファイターのような出来合いの戦闘機を買ってくるというような話ではないのである。
武器輸出三原則を捨てて防衛装備移転三原則とやらを決めたのも、秘密保護法を通過させたのも、安倍政権の趣味もあるだろうけど、これはF-35の開発に日 本が関わっていることと無関係ではない…というか、ぼくはF-35の開発に参加していなければ、三原則や秘密保護法はずいぶん違うものになっていたと思う。実際、IHIがエンジン開発に参加することになったというニュースは秘密保護法の議論がはじまった2013年11月のこと。三菱重工の参加は秘密保護法が成立した後の2014年1月だ。

いうまでもなく、戦闘地域で使われる戦闘機の開発に日本がかかわるのだから、従来の武器輸出三原則にひっかかってしまう。戦闘機の国際開発プロジェクトに 参加するなんてことを想定していない日本の情報保護に関する法制度では、最高級の極秘情報に属する戦闘機の製造に関する情報の保護はできない。
民主党政権が次期F-XとしてF-35の導入を決めた頃、同時に三原則の見直しや秘密保護法が議論されていたのは、そういう理由だったわけだ。


もちろん次期F-Xの決定は、戦闘機の速度がいくか、航続距離がいくら、搭載能力がいくらといった性能だけじゃなくて、ミサイル防衛計画なんかも同時に進められていたわけだけど、イージス艦だとかミサイル防衛計画だとか対潜哨戒システムだとか、そして米国などの同盟国との共同作戦を行う場合のインターオペラビリティだとか、さまざまな要素が複雑にからんでいる。逆に言えば、日本をどのように「防衛」するかという大きな防衛のプランの中で決まってくる。たとえば、領空に入ってきた外国の飛行機を追い出せばいいんだ、という前提なら、F-35みたいな高度な機能や多機能な戦闘機である必要はない。F-35は対空ばかりでなく、対艦、対地の戦闘能力が高いことが特徴だが、これは次期F-Xが決まる前の2006年に自衛隊の統合作戦遂行のための統合幕僚監部が設置されたことと無関係ではないはずだ。やはり2006年に防衛産業を育成するための防衛事業庁が設置されていることがF-35開発への参加、ライセンス生産、そして武器輸出への伏線になっている。
とにかく機種選定に関しては結局、中長期的な防衛計画の枠組みで決まるので、「F-35は高いから買わない」とかいうオプションはないのだろう。実際の価格は従来の戦闘機の2倍近くになりそうだというし、メンテナンスも従来の戦闘機と違ってとんでもなく費用がかかるという。しかし「必要なら買う」しかない。そして、計画が立てられた時は法律に抵触する可能性があっても、「必要なら法律を変える」ことで対応するという形なのだが、どうもこれは釈然としない。

こうして見てみると、武器輸出三原則、秘密保護法、日本版NSC、集団的自衛権…といった最近日本政府が打ち出している数々の防衛省がらみの政策は、結局、ずいぶん前から防衛官僚が米国や日本の軍事産業とともに入念に準備してきた政策だったということが見えてくる。昨年の秘密保護法の議論は、最初から結論ありきだったわけだし、三原則の見直しもF-35をめぐる武器ビジネスの仕上げというわけだ。

民が主人であるはずの民主主義国家の防衛政策は、しっかりと国民に 説明し、必要であれば立法手続きを取り、その上で計画を樹立するというのが本当だと思う。ところが、F-35をめぐる一連の動きは、官僚が計画を立案、遂 行して、最後の段階になって強引に法律を作って辻褄をあわせるという順番で、国民への説明だの理解だのを求めという姿勢はどこにも見えない。口を開けば防衛だ、安全保障だ、積極的平和だという日本の政府だが、日本の防衛というやつは本当にこんな調子で事業を進めていいとは思えないのだが。

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