2015年7月10日金曜日

ボストン美術館の和服体験イベント

ボストン・グローブの記事を紹介した環球時報の記事をネタにして「ボストン美術館の和服試着イベント 「人種差別」と抗議され中止に」という記事がネットで流れているけど、英文の元記事の中国語の紹介記事の日本語による相当強引な要約の紹介なので、何が問題なんだか、まるでわけがわからない。おかげでネトウヨがこの記事を転載しまくって、変な方向で炎上してたりする。

しかしボストン・グローブの元記事を読むと、つまりこの抗議の核心は、十分な説明もなく "the museum was perpetuating racist stereotypes by presenting Asian culture as quintessentially exotic(美術館はアジアの文化を典型的エキゾチックとして提示することでステレオタイプな人種差別を固定化しようとしている)" ということらしい。また、モネのジャポニズムについては、「現在、一部の活動家や学者の中には19世紀のヨーロッパにおけるアジアに対する熱狂を帝国主義的なオリエンタリズムに重ねて解釈している」というような文章もある。

美術館がこのイベントを中止したことが正しかったのかどうかは別として、東アジア系米国人がこのイベントに不快感を抱き、抗議し、これに対して美術館側は「来場者に不快な思いをさせたことにお詫びします」というようなコメント(詳しくは原文参照)を出してイベントを中止したというのだから美術館側も何らかの問題を感じているのかもしれない(美術館からのコメントには、文化的に敏感な問題についても考慮しているというようなことが書かれている)。少なくとも個人的には、抗議の趣旨に納得できる部分はあると思う。
 

また、この件についてハフィントンポストUSもこの件についての美術ライターの文章を載せている(Museum's 'Kimono Wednesdays' Cancelled After Claims Of Racism日本語版「ボストン美術館の「キモノ試着イベント」が中止に 理由は人種差別、白人至上主義?」)。
ハフポの記事では抗議者側の言い分をかなり詳しく紹介していて、全体的に美術館側に批判的な印象だ。最初から「問題が指摘されてきた」、「そもそもこれは打ち掛けであって着物ではない」という調子なんだけど、打ち掛けも広義の着物だよなあ…というのは、まあどうでもいい。
ハフポの記事にはモネの「ラ・ジャポネーズ」についての「19世紀末にパリを席巻した熱狂的日本ブームに対する風刺」だという解釈もあると書いている。そんな解釈があるとは知らなかった。そう言われれば、数年前の日本における韓流ブームみたいな感じなのかもしれない。「ラ・ジャポネーズ」も、そういう目で見てみると、たとえばすっかり韓流ブームにハマってしまった中年女性が韓国ドラマのヒロインの服を着て、何とも似合わないのにすっかりその気になってポーズを取っている図、みたいな気もしてくる。もちろん、だからダメというわけではないのだけれど、話を元に戻せば「なぜたとえば北斎の展示ではなく、いろいろと問題が指摘されているこの絵なのか」ということだ。なお、日本語版では省略されているが、ハフポUSの記事には抗議者たちのサイトに掲載されているこの件に関するFAQが転載されている。このFAQを読めば、彼らのアクションに対する一般の来場者の反応が推測できる。そしてこれに対するアンサーには「TBD(未確定)」の部分が多いというあたりが面白いところ。
詳しくはハフポUSの記事や日本語版を読んでいただきたいが、ハフポUSの記事のコメント欄には「自由に着物も着られないのか」、「ポリティカル・コレクトネスは現代の焚書だ」みたいな否定的なコメントも多い。日本語版のコメントは、そもそも何が問題になってるのかわからんという調子のものが目立つけど、そもそも日本ではこうした「ポリティカル・コレクトネス」を掲げた抗議のスタイルに馴染みが薄いのでよけいわかりにくいのかもしれない。


モネの時代のジャポニズムについて、ぼくはほとんど知識がないので何とも言えない部分もあるし、日本人(ぼくもどうしようもなく日本人なのだ)は日本文化を第三者的な視点から見ることが難しいのだけれど、現代の米国という文脈に置かれた帝国主義時代の日本(そして日本が代表するとされる東アジア)のイメー ジが、東アジア系米国人に呼び覚ます感情がどんなものなのかについて、思いを巡らせているところなのであります。

(ハフポ日本語版の記事が公開されたため、7月11日に日本語版関連の文章を修正しました)

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