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2016年12月1日木曜日

NHKのもうひとつの「誤報」

数日前にNHKの報道で数字の使い方がおかしい、その結果、「誤報」につながったと書いた。
しかし昨日(11/30)、NHKはまた数字で混乱している。

「韓国最大の労組が大統領の退陣を求めて大規模な抗議集会を開いた」という内容の夜のニュースなのだけど、ここでNHKはソウルで韓国最大の労働組合である全国民主労働組合総連盟が抗議集会を開いた、全国規模のストライキを呼びかけていて、製造業や交通機関の労働者など22万人が参加していると伝えた。

これまでNHKは、韓国での一連の大統領退陣を求めるデモや集会を報道する時は必ず警察発表の数字だけを使い、主催者発表の数字は完全に無視して触れもしなかった。ところが今回は主催者発表の数字として「およそ2万人」が集会に参加、22万人がストライキに参加したと伝えている。
そして不思議なことに警察発表の数字については完全に無視して触れもしない。
参考までに韓国のメディアは、警察推定のソウルの集会の規模は8000人で、雇用労働部推定のゼネスト参加者数は6万8350人と伝えている。

NHKは何を基準にして、ある集会は主催者発表の数字を使い、ある集会は警察発表の数字を使うのかまったくわからない。ぼくの周辺でも「おかしい」という人は多いのだけれど、もしNHKがそうした視聴者の意見を反映して主催者発表の数字を使ったとしたら、それは視聴者の意見を取り違えている。
海外のデモの様子がわからない日本の視聴者は、実際にどの程度の人が集まったのかを知りたいのであって、ニュースに数字を出すのであれば視聴者がその規模を正しく把握できるように工夫しなければいけない。警察発表の数字に多くの人が不満を感じたのは、それが警察情報のタレ流しのお手軽なニュースだったからというばかりでなく、実際の規模とかけ離れた数字だったからだ。

ところでこの文章のタイトルに「もうひとつの『誤報』」と書いたのは、NHKのニュースで「韓国最大の労働組合である民主労総(全国民主労働組合総連盟)」と言っていたこと。
11月末現在、民主労総のウェブサイトでは組合員数は69万1,136人という数字が出ている。NHKは「69万が所属する」と書いているので、これは問題ない。
しかし韓国には韓国労総というもうひとつのナショナルセンターがある。やはりウェブサイトを見ると、韓国労総の組合員数は94万8,790人となっている
すると韓国最大の労働組合は韓国労総で、民主労総は「韓国最大」ではなく「韓国第二の労組」ということになる。
韓国労総の組合員数が本当に発表通りなのかどうかはわからない(もっと少ないという声もないわけではない)が、一応、サイトで発表されている数字は公式の数字なので、NHKが韓国労総の組合員数が民主労総の組合員数より少ないとする理由は見当たらない。
これは明らかに間違いであって、一種の「誤報」と言えると思う。

とにかく、ぼくが言いたいことは、NHKは一体何を基準に報道しているのか、ある時は主催者発表、ある時は警察発表という一貫性のなさは何なんだということ。労組の規模について、基本的なデータさえ把握せずに「韓国最大の労組」と言うお粗末さは何なんだということ。

今、韓国では大きな社会的な変動につながりかねない事件が動いている。
この動きを陣営の思惑から離れてしっかり伝えるのが公共放送の役目のはず。
いったい、何のためにソウルに支局を設置し、特派員を派遣しているのだろう?
こんな報道しかできないのであれば、ソウル支局など必要ない。仕事をしない特派員も全員更迭してもいい。
その代わり、ぼくが1本100万円ぐらいで記事を書いてやるよ。支局の維持費、人件費を考えれば安いもんだ。

2016年11月28日月曜日

NHKの「誤報」

朴槿恵大統領や崔順実を中心とする大規模かつ広範囲な不正や汚職などが明らかになり、40%前後だった政権支持率は10月に不正の決定的な証拠が報道されると急低下、最近では4%という数字を記録した。毎週末、膨大な人が街頭に出てきて退陣を叫ぶデモが続いている。
最初は数千人だったデモの規模は回を重ねるごとに増え、主催者側によれば5回目のデモは首都ソウルでの130万、全国で190万人が退陣を叫んでデモを行ったという。

ところが不思議なことに、日本の報道機関の多くはデモの規模について主催者発表の数字を使わず、警察発表の数字を報じている。ただしほとんどの報道機関は主催者発表の数字も併記するなどしてデモの規模の大きさを伝えているのだが、NHKはなぜか一切主催者発表の数字に言及していない。
たとえばNHKは11月26日のニュースで、ソウルでの集会の規模を「今月12日に続いて、民主化以降、最大規模のおよそ26万人」と報じた。主催者発表のほぼ1/5の数字だ。

主催者発表の数字は参加者の延べ人数、警察発表の数字は特定の時点での人数だそうだ。警察発表の数字は原理的に主催者発表の数字より小さくなる。
しかし、抗議デモの場合、最大何人が同時に集まったかが重要なのではない。どれだけ多くの人が抗議の声を上げたのかが問題なのであって、その意味で瞬間を切り出した警察発表の数字を使うのは不適当だ。それなのに、NHKは警察発表の数字を書き写すだけ。
NHK以外でも警察発表の数字を使う報道機関は少なくないが、ほとんどの場合、主催者発表の数字も併記している。しかしNHKは警察発表の数字を書き写すだけ。

NHKが警察発表の数字にこだわり続ける理由はよくわからない。
だがNHKは「民主化以降、最大規模」と報じていることを想起すれば、どうやらNHKは主催者発表の数を念頭に置いてニュースを作っているらしいということがわかる。

NHKが言う「民主化」は、1987年の民主化抗争のことだ。
1987年6月26日に行われたデモの規模は主催者発表で180万人以上、警察発表では2万2千人というのが通説とされている。
警察発表の数だけを比べれば、2万2千人を超える規模のデモは何度も行われている。たとえば2008年6月10日の韓米FTA反対デモの規模は警察発表で8万人だった。
もし警察発表の数字だけを比べるのであれば、NHKはニュースで「2008年FTA反対デモ以降最大」と報じなければならなかった。いや、先週すでにFTA反対デモの規模を超えているので「12日のデモ以来最大」と報じなければいけないことになる。つまり、史上最大のデモだったと報じなければならない。

警察発表の数字を使えば「史上最大」のはずなのに、NHKは「1987年の民主化以降最大」と報じた。
それならその根拠となる数字は主催者発表の数字でなければいけない。
民主化抗争の主催者発表の数字は180万人以上、韓米FTA反対デモの主催者発表の数字は100万人なので、今回の主催者発表130万人という規模は確かに「民主化以降最大」と言える。
したがって「民主化以降最大」と報じるNHKは、主催者発表の130万という数字の方が現実に近いことを認識した上で、何らかの理由で主催者発表の数字を隠したまま警察発表の数字を報道し続けているということになる。

これは単に数字の相対的な大小の問題ではない。
歴史的な出来事の軽重にかかわる問題だ。
1987年の民衆抗争は、当時の軍事政権を退陣に追いやるほどの大規模なデモだった。今回のデモが民衆抗争時のデモより規模が小さければ、政権を退陣に追いやるほどの規模ではないと解釈することもできる。逆に民衆抗争時より大きいのであれば、政権が危険になる水準の規模だということになる。
花火大会の人出のニュースと違い、どの数字を使うかによって、政治的な意味が変わり、歴史における順位が変わるのだから、いい加減な理由で数字を扱ってはならない。

韓国はもちろん、欧米のメディアも、そして日本でも多くのメディアが主催者発表の数字を併記しているのはそのような理由がある。NHKも、主催者発表の数字を併記するべきだった。
NHKは警察発表の数字しか報じなかったことにより、デモの社会的な意味、歴史的な意味を見失ったばかりでなく、1本のニュースの中で本当は史上最大なのに民主化以降最大と報じるという「誤報」、あるいは本当は130万人なのに26万人と報じるという「誤報」を犯してしまったわけだ。

もっとも、1987年の軍事政権下の警察発表の数字は、決して信頼できるような数字ではない。
しかし警察発表の数字は常に時の権力者によって歪められるものだ。
だから韓国では1987年の民衆抗争の規模は普通、主催者発表の180万人以上という数字が使われる。
実際に今回のデモの規模についても、韓国では誰も警察発表の数字なんて信じてはいない。
今回のデモの原因になった朴槿恵政権の無数の問題の中には、青瓦台が警察や検察に介入して真実を隠し、警察や検察に政権にとって都合が良い情報を流させていたことが明らかになっている。軍事政権下の警察発表が信じられないのであれば、全く同じ理由で警察の発表にも青瓦台の介入を疑わなければならない。警察発表の数字を報道することに意味がないとは言わない。しかし、警察発表がすべてではない。「政府が右と言えば右」というセンスで報道機関が当局の発表を垂れ流すことがいかに危険なことなのかをNHKは理解しなければいけない。

今、目の前で起きている出来事がどのような意味を持つのか、その意味をこれまでの多くの出来事と比べるために数字が使われる。ニュースでどの数字を使うかによって、出来事の意味が変わってくる。
もしNHKが「警察が26万と言ったから26万」というのであれば、報道機関として失格ではないだろうか。今、何が起きているのかを見極めて、意味のある数字を使って出来事の意味をニュースの受容者に伝えることが報道機関の役目だと思う。












2012年12月23日日曜日

韓国の大統領選挙

韓国の大統領選挙は結局、「独裁者の娘」で「初の女性大統領」の与党セヌリ党の朴槿惠が、野党民主統合党の文在寅を破って当選した。

選挙戦は、早くから立候補を決めていた朴槿惠有利という雰囲気の中、昨年のソウル市長選挙で市民候補の朴元淳を勝利に導いた安哲秀の動向が注目されていた。野党圏はぎりぎりまで候補の一本化がまとまらなかったが、結局、最終的に安哲秀が文在寅支持を表明、一気に野党候補の支持率が高まった。そして選挙前の世論調査では、与野の支持率の差は5%程度にまで縮まり、投票日に突入することになった。

結果は与党の勝利となったが、もし、野党側がもっと早くから候補の一本化に成功していれば、または最終的に安哲秀で一本化していれば、異なる結果になった可能性は高い。しかし歴史にIFはないという。野党候補一本化の遅れには、それなりの理由があった。選挙に敗北したのはあるいは必然だったのかもしれない。

個人的な見解だが、今回の選挙の結果は、与党の周到なイメージ戦略が功を奏したこと、野党は親盧派の傲慢や、改革を望む声を受け止められなかったこと、盧武鉉政権の失敗を清算できないまま親盧派の候補で選挙に突入したことなどが大きな要因になったと考えている。簡単に言えば、与党は民心が求めているものを鋭く読み取り迅速に対応したのに、野党や進歩陣営は、古い観念に囚われて民心を読み誤ったということだ。

社会秩序を重視する保守系政権が続くことになり、今後さまざまな社会運動への締め付けが強まることはあっても、決して弱まることはないだろう。しかし韓国の左派勢力にとって、今回の大統領選挙での敗北が意味するものは、単にまた五年間を保守政権の下で暮らさなければならないということだけではない。元々、労働運動などの中でも左派に属する勢力は、リベラル保守の野党候補には大きな期待は抱いていなかった。しかし4月の総選挙の前に、民主労総が支持していた民主労働党が親盧派非主流派の参与党と共に作った統合進歩党が内部的な問題で分裂したことから、左派勢力間の対立は修復不可能な状態になり、大統領選挙への対応で方向性を打ち出せないまま幹部をはじめとする有力者のグループが個別に動いた。そして大統領選挙での野党の敗北が、こうした分裂状態にとどめを刺した形だ。民主労総が掲げる労働者政治勢力化の方針が大幅に後退したばかりでなく、組織の求心力の低下、政治的発言力の低下で現場の闘争や労働運動全般への影響も避けられない。

では今回の与党勝利につながった韓国の民心とは何だったのか。とても一言でまとめられるようなものではないが、社会全体の保守化、古い対立の政治への嫌悪、有権者の要求の変化などがある。これらの要因について、ここでは特に「外国人」の立場から見た韓国の社会状況と、その選挙への影響について書き留めておくことにする。なぜなら、今回の韓国の大統領選挙をめぐる過程は、日韓で具体的な現れ方は違っても、日本の状況に通じる部分がある。グローバル化する経済の中で、地理的にも歴史的にも近い関係にある日韓両国が置かれた状況を、韓国の大統領選挙というフィルターを通して振り返る材料になると思う。

■若年層の政治意識と脱イデオロギー

今回の選挙は、リベラル指向が強い若年層の投票率が勝敗を左右すると言われていた。若年層の投票率が上がれば野党有利、低ければ与党有利と言われていた。実際には、若年層の投票率もそれなりに高かったのだが、むしろ保守的な指向が強い中高年層の投票率が上がったことで、保守系候補の勝利につながったと言われる。まず若年層の意識について分析してみよう。

日本から見ると、韓国の若年層の政治意識や社会意識はずいぶん高いように見えるが、韓国人に聞くと「そうでもないよ」と言う。考えてみれば、韓国人は日本人よりおしなべて政治意識が高い。韓国的な基準からすれば、若年層は政治意識が「低い」ということらしい...のだが、本当だろうか。

既存の韓国の政治活動家にとって「政治」とは、極端に言えば、たとえば南北統一、反米自主、民主化、社会主義といった分野の用語を駆使し、「悪い権力」に身をもって立ち向かうことだった。だが「反米自主」だの「労働解放」といった言葉は、政治的な民主化を勝ち取り、経済的にも豊かになった今の韓国の若い世代には以前ほど響かない。特に韓国では国是のような「統一」に対しても若年層の反応は冷めている。以前のような左翼的なスローガンへの反応も鈍く、韓国の厳しい資本主義社会の現実の中で必死に生き残ろうとする若者たちには、時として「保守化」というレッテルが貼られたりもする。

もちろん、分断国家の韓国は、21世紀になった今も古い冷戦構造の中にあり、そして韓国の労働者たちは今も厳しい労働搾取にさらされている。それで既存の韓国の政治活動家たちは、どうすれば若い人たちに「政治」に関心を持ってもらえるのかと一生懸命に考える。だが2008年の大キャンドル集会や2011年の希望のバスなど、韓国の若い人達は既存の活動家が思いもよらない方式で大量動員を実現したことを目の当たりにして、古い活動家は頭を抱えた。これらの新しい社会運動は、旧来の左右の理念的対立や運動の方法論の枠組みから大きく外れていたからだ。

「保守化」は単に若年層ばかりではない。韓国全体が保守化している。その中で、若年層は既存の「保守か進歩か」という政治的議論の枠組みに対する関心が薄いのは事実だろう。それを政治的意識の低下と認識すべきではなく、古い進歩的スローガンに反応しないことを保守化と認識することも正しくない。それは単に進歩陣営が、人々の共感を呼ぶような新しい進歩的議題の提出に失敗しているだけなのだ。

ところでキャンドルデモのような韓国の若年層の最近の社会的・政治的な活動についてはさまざまな議論があるが、ある韓国人の活動家は「結局、オレたちの時代の運動はそろそろ寿命なのかもしれない」、「オレたちがするべきことは、彼らに運動を教えることではなく、彼らの方式の運動を認めて、彼らを支えることなんだろうな」と言っていた。

■進歩の衰退

韓国はこの数十年間に大きく政治的構造が変化し続けてきた。1980年代後半まで続いた軍事独裁、その後の盧泰愚、金泳三の一定の民主化の過程を経て1990年代後半にリベラル保守指向の金大中は事実上、韓国の民主化を確立したといっていいだろう。それに続く盧武鉉は政治的には左派色が強まったが、李明博で保守に回帰した。

さて、韓国進歩勢力の衰退を語る前に、韓国の左派、あるいは進歩勢力の構造を整理しておきたい。韓国の「進歩」を日本でいう「左翼」の概念で理解すると混乱しかねない。

韓国の進歩は、反独裁・民主化運動という大きな流れの中に、反米・南北統一を目指す統一運動の流れ、労働組合を中心とする労働運動の流れなどがある。それぞれの流れは矛盾するものではなく、時には協力し合い、時には独自の色を強めながら今に至っている。

今回の選挙で文在寅を擁立した野党の民主統合党は、本流の金大中の流れをくむリベラル系保守政党だが、さらに急進的な主張を掲げる統合進歩党、進歩新党などがある。無理を承知であえてレッテルを貼るとすれば、統合進歩党は統一運動系、進歩新党は労働運動系と言える。ちなみに、韓国での「進歩」は、日本の「左翼」に近い「急進的」というニュアンスがある。そのため統合進歩党や進歩新党は「進歩政党」と呼ばれるが、民主統合党は一般的に「進歩」とは若干の距離がある。ただし、保守系からは民主統合党内部の進歩指向の部分について「アカ」攻撃が加えられる場合もある。

しかし、こうした旧来の政治的な構造には包括しきれない層が誕生している。軍事独裁の時代は遠くなり、反独裁・民主化というスローガンはすでに聞かれなくなって久しく、南北の経済格差の開きや最近の北朝鮮の理解に苦しむ軍事的挑発は従来の方式の統一運動への関心を低下させ、二極化の弊害は高まっているとはいえ、全体的な生活水準の向上で、激しい労働運動への共感は得にくい。その中で、環境、女性・移民などの少数者、社会的格差、過度な競争、教育問題といった、従来の枠組みでは捉え切れないテーマが社会的な問題になっているが、既存の進歩政党はこれらの問題に適切な対応ができず、有権者からの支持を失いつつある。

問題の根底には、それぞれの政党が変化した社会にあわせた自己改革が進んでいないことがあると言われている。特に春の総選挙の前に、進歩を指向する政治勢力は小異を捨てて団結し、強大な与党に対抗する力をつけなければならないという統合の動きが活発になった後、統合勢力の中での主導権獲得の争いが激化し、結局は分裂してしまった。野党最大勢力の民主統合党も、大統領候補を決める過程で、盧武鉉政権を支えた「親盧派」と呼ばれる主流勢力がかなり強引に自派の候補を押し通した。親盧派の動きは、その後、安哲秀勢力との候補単一化でも問題になる。

こうした政党内部のセクトや派閥の力学を前提とする動きの中で、一般の党員や有権者の声はなかなか反映されない。そんな古臭い政治の姿を露骨に見せつけたリベラル、進歩勢力は、有権者、特に若い有権者の離反を招くことになったのだろう。

なお古い政治の枠組みという点では、今回朴槿恵候補を当選させたセヌリ党も似たようなものだが、朴槿恵は総選挙を控えて大胆な党の改革に取り組み、党名をハンナラ党からセヌリ党に変更、イメージカラーを韓国保守層が最も嫌う「赤」にすることで、大衆的に「朴槿恵のセヌリ党は以前のハンナラ党ではない」という強い印象を植え付けることに成功し、総選挙での勝利を勝ち取っている。

■「新しい政治」の台頭

最近の新しい社会問題について、各地の大学生を対象とするワークショップなどでアピールを続け、浮上してきたのが、安哲秀を中心とする勢力だ。大企業中心の社会システムの問題、それに対応できない既存の政党政治の問題などを提起して「新しい政治」を掲げる。

古い枠組みの中で特別な人たちが語る、どこか遠い世界の「政治」には関心を持たない若年層も、これまで政治が語ろうとしなかった自分たちの問題について、自分たちの目の高さから語りかける安哲秀の「政治」に熱い支持を送った。

安哲秀は医者出身のIT技術者/経営者で、ソウル大学校融合科学技術大学院院長という肩書きを持つエリートだ。韓国の社会システムの中では特権階級に属する。決して労働者や貧民を代弁できるような経歴を持つ人物ではないが、現在の社会システムがいかに不公正なルールで維持されているのか、その矛盾を身を持って知る人物でもある。

彼は政治的な経験もなく、政治的な立場や実力は必ずしも明確ではない。発表された公約を見ると、特に具体的な問題に関する部分は、やや観念的な机上のプランという印象も受ける。しかし率直な社会批判、そして特に現在の政治に対する強い批判は、若年層を中心に高い人気がある。昨年のソウル市長選挙で強力な与党候補を破り、市民活動家の朴元淳が当選した背景には、安哲秀の強い支持があった。

彼の今回の選挙での主張は、「政権交代」ではなく「政治交代」だった。古い政治の打破、古い政党の解体、そして新しい政治を訴えた。彼が提示した選択肢は、野党か与党かではなく、保守か進歩かでもなく、古い政治に安住するのか、それとも新しい政治を切り開くのかという選択だったと言えるだろう。

政治に無関心とされていた若年層が、そんな安哲秀の主張に支持を送った。与党支持者も、これまでの野党に失望した人も、そして若年層ばかりでなく、年代を超えて多くの人々が安哲秀に期待を寄せ、「安哲秀現象」という言葉まで生まれた。

■盧武鉉の亡霊

金大中政権を引き継いだ盧武鉉は、議会から弾劾されても圧倒的な支持で大統領に返り咲くほどに強く国民的な支持を受けた大統領でもあった。慶南なまり丸出しの語り口や、人間臭い性格の持ち主だった盧武鉉の人気は今も高い。今回、野党陣営はそんな盧武鉉大統領の右腕と言われた文在寅を大統領候補に擁立した。

しかし、盧武鉉政権の五年間に対する評価は交錯する。一部の支持者からは今も肯定的な評価を受けているが、一般的な評価はかなり厳しい。盧武鉉は、政治的には進歩の立場を取ったが、経済的には市場原理主義的な新自由主義経済政策を取り、それにより発生した労働争議には厳しく実力で対応した。李明博政権の初期に大規模な韓米FTA反対デモが起きたが、強い反対を押し切ってその韓米FTAを締結したのは、まさに盧武鉉政権だった。そして今回の大統領選挙の行方を決めたと言われる50代前後の世代は、まさに盧武鉉政権の新自由主義的な政策で職を失ったり、住宅価格の高騰などで経済的な打撃を受けた世代だと言われる。

「労働者の涙を拭う」と言って誕生した盧武鉉政権が、労働者を叩きのめしたのである。おそらく盧武鉉個人としては心外だっただろう。しかし政党という政治組織を基盤とする政権は、盧武鉉個人の意思とは別の力で動かざるを得なかった。安哲秀が批判する古い政党政治とは、まさにこのような政治なのではないだろうか。

盧武鉉政権の失政について、文在寅候補は率直にその失敗を認めて謝罪したが、進歩陣営にもたとえば民主労総をはじめ、盧武鉉政権の中核にいた文在寅に対する恨みともいえるような拒否感は根強いものがあった。文在寅は政権中枢での実務経験、国政運営の経験をアピールしたが、それは同時に盧武鉉政権の失政の責任を問われる理由にもなった。そして「盧武鉉の再来」を心から恐れた50代の有権者を大挙投票所へと駆り立てたのだ。

親盧派が実権を握る民主統合党やその周辺のグループとしては、親盧派への風当たりの強さは自覚しながらも、何としてでも自派の大統領を当選させ、再び権力の座に返り咲きたかったのではないだろうか。政治が権力を指向することは、ある意味自然なことかもしれないが、有権者の声を無視した政治力学の中で政治が動くことについて韓国の有権者は強い違和感を感じている。

■ノスタルジーとイメージ


与党の朴槿恵の支持層は、朴正煕時代を知る高年齢層だ。確かに独裁は過酷だったかもしれない。しかし「アカ」が引き起こした朝鮮戦争で荒廃した国土を復興し、急速に発展させた朴正煕を今なお敬愛する人々は多い。また朴槿恵は、独裁者または国家発展の英雄である朴正煕の娘であると同時に、国母とも呼ばれ親しまれた陸英修の娘でもある。朴正煕の強さと陸英修の優しさの両面を持ち、両親を凶弾で失った悲劇の姫である朴槿恵は、苦しい時代を生き抜いて今の韓国を築き上げた韓国の高齢者たちにとって特別な意味を持つ存在なのである。また若い世代の中にも、世界の最貧国レベルだった韓国を世界でもトップクラスの先進国に押し上げる基盤を築いた朴正煕時代を、輝かしい躍進の時代と考える人は少なくない。

セヌリ党の選挙戦略で見事だったのは、古き良き時代のノスタルジーを新しいイメージで包装するという徹底的なイメージ戦略を展開したことだ。前に少し書いたように、党名と党のロゴを変更し、イメージカラーも赤に変えた。韓国の保守層は、本当に赤い色が嫌いらしく、このイメージカラーの変更にはずいぶん議論もあったといわれるが、結果としてこれは成功した。もちろん「初の女性大統領」というフレーズも頻繁に登場した。多くの国民が望む旧態然とした価値観や古い政治から、少なくともイメージの上では見事に脱却してみせた。政策的な部分でも現在の韓国社会が抱える民生、福祉、雇用、学費、財閥改革といった「進歩的」政策を、巧妙な逃げ道を用意しつつ、しかし果敢に取り入れてみせた。どの程度、本腰を入れてこれらの「進歩的」政策を実行に移すのかはともかく、こうしたキーワードが公約に並ぶことだけでも、新しさを演出するには十分だったと言えるばかりか、進歩陣営が得意とするキーワード(しかしこれらのキーワードは同時に朴正煕的な復興・国づくりのキーワードに通じる部分もある)を先取りすることで、政策論争の対立点を曇らせ、イメージ的な演出の比重を高めたとも言える。

そして選挙期間中のメディア戦略も徹底していた。可能な限り好印象を与える場面を作ってマスコミのカメラに狙わせ、朴槿恵が不利になりかねないTV討論会は、可能な限り朴槿恵に有利な形で実施するようにあれこれ手を尽くしたという。テレビの報道は、陣営からの圧力があったのか、あるいは政権に弱いテレビ局の幹部が朴槿恵に媚びたのかはわからないが、常に朴槿恵が有利な形で流された。

与党はこうしたノスタルジーやイメージ戦略を駆使して、朴槿恵は強く、優しく、心の底から国民の幸福を願う大統領候補だという印象を植え付けることに成功した。

その反面、野党陣営は必ずしもイメージ戦略に成功していたとは言えない。やはり前に書いたように、盧武鉉の後継者というイメージは、過酷な盧武鉉政権の記憶を想起させ、安哲秀との候補単一化の局面では古い政治を印象づけることになってしまった。

民主統合党の問題ではないが、進歩陣営の分裂や混乱は、進歩陣営にとってはもちろんだが、文在寅陣営にもマイナスだった。今回の選挙戦で、進歩陣営があげた得点は、テレビ討論会で統合進歩党の李正姫候補が舌鋒鋭く朴槿恵候補に迫った点だ。ただしこの得点も、朴槿恵の支持者にとっては「アカ」の候補による悪意の中傷程度にしか受け取られず、得点としてカウントしたのは野党陣営だけで実際には朴槿恵に何のダメージも与えることはできなかったという評価もある。すでに「独裁 vs 民主化」という対立のイメージは、今の韓国では陳腐化してしまったのだとすれば、これを「得点」にカウントしたセンスこそが問われている。

いずれにしても、与党は緻密なイメージ戦術を展開したのに対し、野党側は誰にでもすぐに実感できる肯定的なイメージを持っていなかった。選挙の最終局面で、安哲秀が遊説先でいわゆる「人間マイク」をやって話題になったことが、野党陣営によるイメージ戦術でほぼ唯一成功した最高の例ではなかったかと思う。

ちなみに、OWSで知られるようになった「人間マイク」は、韓国では「ソリトン」と呼ばれ、20年ほど前まで、韓国の学生運動などでは日常的に使われていた。「ソリトン! ソリトン! ソリトン!」という開始の掛け声は、おそらく学生運動の世代に訴える響きがあったのではないだろうか。一方、OWSで「人間マイク」を知った若い世代にとって、ソリトンはインターネットを通じて見るズコッティ公園のオキュパイを想起させ、新しい政治の息吹を感じさせたのではないだろうか。この映像はインターネットであっという間に拡散し、安哲秀の露出を極力控えていたテレビ局も、大型スピーカーがあっても、あえて「ソリトン」で訴えるという珍しい場面を紹介せざるを得なかったのだ。

■メディア


今回の大統領選挙でも、さまざまなメディアが活躍した。与党は主にテレビや新聞といったオールドメディアを、野党は主にインターネットのSNSやポッドキャストなどのニューメディアでそれぞれの支持者に呼びかけた。

もちろん放送は公共のメディアなので、本来は意図的に一方に有利な情報を流すことはできないのだが、与党は人事権を使い政権側の人物を経営陣に送り込んだり、番組内容への公開、非公開の圧力をかけたと言われる。最も露骨な形で現れたのがMBCだが、国営のKBSにも番組内容についてさまざまな「指示」があったと言われる。具体的な事例はいちいち紹介しないが、実際に番組を見れば、今回の大統領選挙での放送各社の態度がどのようなものだったのかは誰の目にも明らかだ。

韓国の新聞は、保守系の論調で知られる朝鮮・東亜・中央の三紙が全国的に圧倒的なシェアを維持している。リベラル系としては、ハンギョレ、京郷の二紙があるが、購読者数は少なく、ソウル首都圏が中心である。当然、朝鮮・東亜・中央は朴槿恵一色といってもいいほどだった。

韓国は世界でも有数のインターネット普及が進んだ国でユーザーも多いが、それでも大衆的な波及力はオールドメディアには及ばない。しかし野党陣営は、事実上、与党に握られたも同然の既存のマスコミよりも、インターネットでの活躍が目立った。

インターネットでは、OhMynewsのようなインターネット新聞をはじめ、ウェブの掲示板、TwitterやFacebookといったSNS、動画やネット放送(Podcast)などが文在寅や安哲秀に関するニュースの伝達に使われた。特に今年の選挙で目立ったのがネット放送だ。スマートフォンの普及で、動画や音声の視聴ができるようになり、特にPodcastは放送時間に縛られずに視聴できる。特に「ナコムス」のブレークで注目されたネットラジオ形式のPodcastは番組制作が容易で、「ながら聴取」ができるといった利便性が若年層にアピールした。また、放送局を解雇されたジャーナリストたちが発足させた「ニュース打破」はネットテレビ形式のPodcastで、そのまま地上波で流せるほどのクォリティを持つニュース番組だ。「ニュース打破」は、KBSやMBCのニュース番組が取り上げない重要なニュースを積極的に取り上げ、大きな反応を呼んだ。

今回の選挙では、主流メディアがあまり伝えない野党側の情報を求める多くの人々がインターネット・メディアで選挙に関する情報を得たり情報交換を行ったため、非常に活発に見えたが、テレビなどと異なりインターネット・メディアは能動的に情報を取得しなければならない。そのため、支持者向けの情報ツールとしてはともかく、支持者拡大のためのツールとしては限界があると言われている。

SNSなどの個人による情報発信も盛んだったが、選挙期間中に特定の候補への投票の呼びかけにつながる情報発信は禁止されている。そのため、野党支持者はSNSなどを使い投票を奨励するメッセージを拡散させることに力を注いだ。投票の棄権率が高い若年層には本来野党支持者が多いため、投票率の上昇は野党側に有利に作用するためだ。

このように新旧メディアに分かれて与野の情報戦が展開されたが、いかにインターネット先進国の韓国といえども、日夜、テレビや新聞で流される与党指向の組織的かつ大量の情報物量戦では、野党側の劣勢は明らかだった。

■韓国、これからの五年


大統領選挙が与党の勝利で終わり、韓国の進歩陣営は一様に沈み込んでいる。民主統合党を支持しなかった民主労総も、民主統合党には期待していないと大言壮語した左派も例外ではない。民主統合党は、信頼できる同志ではなかったとしても、少なくとも話は通じた。セヌリ党では話も通じない。

長く苦しい闘争を続けている多くの労働現場は、総選挙で野党が敗北した時もまだ大統領選挙があると信じて頑張ってきた。12月21日、昨年キム・ジンスク氏が長期間クレーンを占拠して闘った韓進重工影島造船所で「朴槿恵が大統領になってまた5年には耐えられない」という遺書を残して労組幹部が自殺した。限界に近い闘争を続けている多くの闘争現場の労働者も同じ気持ちだろう。

労働争議の現場ばかりではない。江汀の海軍基地反対闘争、密陽の原発送電塔反対闘争、サムソン電子との労災認定闘争など、多くの闘争の現場で闘っている人々にとって、大統領選挙での野党勝利は膠着した事態の突破口になるはずだった。

朴槿恵が大統領になることで、特に憂慮されるのは公営放送局、MBCの争議だ。李明博が送り込んだ経営陣により、国営のKBSや公営のMBCは明らかに政権のプロパガンダを垂れ流す道具になっている。それでも国営のKBSは支配構造が明確だが、朴槿恵と深い関係がある正修奨学会が大株主になっているMBCは、民営化の方向に進むのではないだろうか。その過程で、現在の争議はもちろん、戦闘的なMBC労組そのものが壊滅させられる可能性は無視できない。

朴槿恵は、民生重視を印象付けるために、いくつかの象徴的な争議で労組側に有利な介入が行われる可能性もなくはない。だが朴槿恵の労働政策の基本は、新自由主義的な労働柔軟化政策の枠組みを堅持した上で、セーフティネットを拡充し、生活の不安定化を救済するといった内容だ。現在、闘争を続けている労働者が満足できるような解決にはつながらないだろう。

むしろ朴槿恵は選挙で社会秩序の立て直しに肯定的な発言をしており、デモやストライキ、座り込みなどに対し、「社会秩序」を理由に厳しい対応に動く可能性も残る。

朴槿恵よりは文在寅に当選してほしかったというのは、進歩的な社会運動にかかわる多くの人々の本音だろう。しかし労働運動は、なぜ選挙の結果ごときでこれほど右往左往するようになってしまったのか…。

もちろん、選挙でやられたら昔のように路上でやり返せばいいというような単純な話ではないだろうが、厳しくなる闘争を支える方法や、反撃の方法はあるはずだし、なければ新しく開発すればいい。一人の中途半端な大統領を当選させることよりも、99%が力を合わせて社会を動かすことを考える方が、はるかに有益な結果を得られるに違いない。

当選の見込みはなくても韓国の左派が「労働者大統領候補」を立てたのは、ただの数合わせで権力の分け前を期待するのではなく、左派が目的とする労働者・民衆が主人公になる世の中では、当然、労働者が大統領になるはずだからだ。大統領選挙での勝利は、少なくとも左派にとって、目的ではなく、結果である。その意味では、バリバリの左派活動家にとって今回の大統領選挙での野党敗北は、ひとつのエピソードに過ぎないのかもしれない。

バリバリの左派は別として、現実的には次の選挙まで、韓国の社会運動は厳しい状況に置かれるだろう。これまで李明博の5年間、そしてこれからまた朴槿恵で5年間、同じような時間が続くというのは、日本人の私でさえ、考えただけで息苦しくなる。もっとも大半の日本人は、生まれた時から今の韓国のような時間が続いてきたのだが。

日本人の目から韓国の大統領選挙を見れば、「同じなんだなあ」と思わせられたり、「それは違う」と思ったりもする。同時に、韓国の選挙から、われわれは何が間違っていたのか、何をするべきなのかのヒントを読み取ることもできるのではないだろうか。