2013年9月13日金曜日

盗難/紛失に備えるGPG鍵の作り方

GnuPG(GPG/Gnu Privacy Guard)は、公開鍵、秘密鍵の2種類の鍵を使う、というのは誰でも知ってる。しかし主鍵(プライマリキー)と副鍵(サブキー)については、あまり知られていない。とりあえず主/副の鍵は何も気にしなくても、特に使用に不都合はないのだが、最近、副鍵の面白い使い方を知った。GPG秘密鍵が入っているノートパソコンやスマホなどの紛失や盗難にあったとき、インパクトを最小にするためにサブキーを追加してプライマリキーを削除したキーリングを使う方法というのがあるというのだ。
秘密鍵を盗まれると、その鍵を使って他人が所有者になりすましたり、暗号をやりとりすることができるようになる。
それでは困るので、失効証明書を発行してその鍵を使えないようにすればいい。
ただ、鍵を失効させてしまうと、新しい鍵を作りなおさなければいけなくなる。新しい公開鍵を配布し直さなければならないことは言うまでもないが、信用の輪(web of trust)もゼロから構築しなおさなければならない。公開鍵の配布はともかく、web of trustの中にいる人にとっては、信用関係を構築し直すのは相当めんどくさいことになる。
しかしサブキーの仕組みをうまく使えば、公開鍵のIDを変更することなく、盗まれた鍵だけを失効させ、新しい鍵に入れ替えることができる。この場合、新しく公開鍵を配布し直さなければならないことに変わりはないが、新しい鍵は従来の鍵と同じ信用を持っているので、相手側は安心して鍵を入れ替えることができる。

2013年8月31日土曜日

2013年8月15日木曜日

終戦の日

ぼくの父は海軍の飛行機乗りだった。日本の敗色が濃くなると、父も特攻隊に志願することになって、9月に出撃するはずだったという。もし、降伏が1か月遅れていたら、または特攻の順番が1か月早ければ、ぼくは存在していなかったわけだ。
父が特攻隊に志願したのは、ずいぶん前からどうせ負けは明らか、圧倒的な戦力の差の前で本土決戦などと言われていた当時、飛行機乗りが生き延びる可能性がある選択肢は事実上なかった。敵艦に突っ込んで死ぬか、空中戦で死ぬか、どっちにしても死ぬんだったら、でかい軍艦を沈めて死ぬほうが得(?)だという計算だったらしい。クレイジーな戦術だとも言われる けれど、そもそも「どっちにしても死ぬしか選択肢がない」という状況で、クレイジーじゃない戦術なんてあるだろうか。特攻がクレイジーなのではなく、戦争がクレイジーなんだ。

ところが68年前の今日、戦争は終わり、おかげでぼくもこうして生まれてきた。
降伏の決断が1か月早ければ、もっと多くの人が生まれていただろうし、1か月遅れていたらぼくをはじめ、今生きている人のうち、何十万人か、何百万人かは存在していないだろう。他人の話ではなく、それは自分かもしれない。

降伏の決断が遅れたのは国体とやらを心配したからだという。バカバカしい話だ。

2013年8月13日火曜日

人間の條件

正月やGW、夏休みなど、まとまった時間が取れる時に、普段なかなか見ることができない映画を見るようにしていて、今年の夏は古い松竹映画、「人間の條件」を一気に見てしまった。
 前々から見たいと思っていた映画だったのだけど、何しろ長い。第一部から完結編まで全部見ると10時間近い超大作である。もちろん、全部通して一気に見なきゃいけないってもんでもないのだけれど。
とにかくなかなかすごい映画で、今だからこそ、ぜひ多くの人に見てもらいたい映画でもある。
映画評なんて上等なものではないけれど、せっかく見た映画なのだから、見て感じたこと、考えたことなどを並べてみよう。

2013年7月8日月曜日

今度は自民党に投票しようかと思っているみなさんへ

これまで自民党に投票してきた人、前回は民主党に投票したけど今度はやはり自民党に投票しようと思っている人、あるいは自分は保守だから自民党だと思っている人、左翼が嫌いだから自民党に投票するという人、ちょっとだけ時間を作ってこの文章を読んでください。

まず、結論から書きます。自公連立で安定した政権がいいと思うのでしたら、自民党ではなく、公明党に投票してください。

その理由をできるだけ短く説明します。

その前に私の政治的なスタンスと立場を説明しておきましょう。私は、若い頃は漠然とした保守主義者でした。年齢を重ねるにつれてどういうわけだか左傾化してしまい、選挙では民主党や共産党、社民党などに投票してきました。職業はフリーランサーで、どの企業や政治団体、宗教団体、労働組合、あるいはその他の既得権団体にも所属せず、ひたすら自分の時間と能力を売って暮らしてきた人間です。購読紙は日本経済新聞、テレビは見ません。宗教は特にありませんが、強いて言えば浄土真宗です。

自公政権について

私は、自公連立政権の経済政策や安定感のある政権運営の魅力を認めざるを得ません。言いたいことは山ほどありますが、昨年までの民主党政権のあまりのだらしなさを思い出すと、保守を自認する人や、安定した政治を求める人に対して民主党に投票してくれだの、社民党に投票してくれと言っても、きっと耳を貸してもらえないでしょう。保守政治の魅力は現実的であること、そして安定感です。保守の立場から考えれば、確かにアベノミクスの異次元の金融緩和は見事でした。自民党が主張するTPPのメリットも一理ありますし、原発再稼働やむなしという考え方も、消費税の値上げも感情的に反対するだけではだめだという意見ももっともです。そして自公が圧勝して衆参のねじれが今回の選挙で解消されれば、絶望的なデフレスパイラルから脱し、日本の経済を安定させることもできるでしょう。

憲法が危ない

私が公明党への投票を訴える理由は、憲法の問題です。いえ、九条の話ではありません。私もかつて保守主義者でしたから、現実的に軍事力の保持を認めるべきだという考え方は理解します。

私が今回、絶対に自民党への投票をしてはならないと信じている理由は、自民党の憲法に対する態度や姿勢、人権や民主主義に対する自民党議員の理解が驚くほど未熟で、この国の自由と平和を破壊しかねないほど危険なものだからです。世界でも例のないような、まさに「異次元」の憲法です。

しかし公明党は、改憲(加憲)を掲げていますが、自民党をはじめ、声高に改憲を唱える保守と比べれば、基本的に現行憲法の枠を大きく超えず、現行憲法の価値観を継承しています。今の私が見ても、公明党の憲法に対する姿勢は正しいと思います。少なくとも憲法に限れば、私は公明党の見解は積極的に支持できるものだと考えています。

今回の参議院選挙では、自公は圧勝すると言われています。自民党だけで単独過半数を取るかもしれません。公明や野党の改憲勢力を入れれば改憲に必要な2/3の議席は夢ではないでしょう。

自民党の圧勝が予想される中で、私は公明党が自公連立の中で少しでも多くの議席を取り、自民党が憲法草案で掲げているような改憲に対するブレーキになってほしいと思っているのです。

失礼な言い方になるかもしれませんが、どうせ自民は圧勝です。みなさんが自民党に投票しなくても、きっと安倍政権は安泰でしょう。しかし、自民党の議席が増えれば増えるほど、日本を危険な方向に導きかねない憲法改正の可能性が高まってしまいます。

自民憲法は現実的な危険

憲法なんて、庶民の生活に何の関係があるのかと思われるかもしれません。本当にそう思っているのなら、中国や北朝鮮のような国でも幸せに暮らせるでしょう。しかし、もし中国や北朝鮮のような国では暮らしたくないと思うのでしたら、憲法は本当に重要です。

自民党の憲法草案というものがあります。この憲法草案を読んだことがある人は少ないと思いますが、世界の国々が歴史の教訓から学んで積み上げてきた自由や民主主義、人権といった価値観を真っ向から否定しています。長くなるので具体的には説明しません。一つだけ例を上げると自民党自身が「天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました」と書いています。人権も、民主主義も、政権の思い通りに制限されかねません。そんな憲法を持つ国が中国や北朝鮮とどこが違うでしょうか。自民党憲法草案に対する批判は「自民党憲法草案 問題点」のキーワードで検索してみてください。

憲法は現政権以後も存在し続ける

もちろん自民党が勝てば、すぐ中国や北朝鮮のような政権になるとか、戦前の日本に戻る、と言いたいのではありません。私もかつては保守でしたから、自民党のような日本の古い保守政治の良識は、理解しているつもりです。

問題は、これが「憲法」だということです。憲法というものは、時の政権の姿勢だけを決めるものではありません。これから長い間、何十年も、あるいは百年以上も日本の国の最高法規であり続けるということです。一度改正したら、今の自民党よりも長く続くかもしれません。もし、自民党の憲法草案のような憲法改正が現実のものとなり、その憲法が持つ危険な要素を悪用する独裁者が登場しても、その時はもはや憲法は何の歯止めにもならないのです。

自民党がいくら信頼できる党だとしても、憲法に対する自民党の無邪気なまでの独善、法や人権に対する無理解、そして驚くほどの国に対する、国民に対する無責任さは、どれだけ批判しても足りません。憲法改正が争点のひとつになっている今度の選挙で、このような考え方を堂々と方針として掲げる党への支持を意味する投票行動は、絶対にしてはいけません。

自民党にブレーキを

あるいは公明党を支持する宗教団体の存在が気になると思われるかもしれません。正直言って、私はあまり公明党は好きな政党ではありません。しかし心配する必要はありません。決して公明党は自民党を飲み込むようなこ とはありません。候補者数を見てもそれは不可能です。今の公明党にできることは、せいぜい自民党や改憲勢力の暴走に常識的なブレーキをかける程度です。

日本の有権者の多くが、経済再生を願って安倍政権に投票する気持ちはよくわかります。しかしもし自民党が圧倒的多数の議席を占めれば、憲法は破壊され、日本という国が取り返しのつかない破滅の道を開くものなのです。

ですから今度だけでいいのです。もし公明党が気に入らなくても、日本を守るために一回だけ、自民党と連立を組んでいる公明党に投票してください。そして、少しでも自民党の暴走にブレーキをかける意思を示してください。経済政策は支持する、しかし危険な自民党憲法には反対するという意志の表明が、公明党への投票なのです。

私自身は、まだ投票先を決めていませんが、ずいぶん前に保守をやめたので公明党には投票しないでしょう。しかし、もし、今でも私が保守主義者であり続けていたとしたら、きっと自民への批判として公明党に投票したと思います。日本の多くの自民党支持者は、かつての私もそうでしたが、保守としての常識と健康な民主主義を望んでいるはずです。日本社会が平等で、民主的で、人権が尊重される豊かな社会であってほしいと思っているはずです。そうであればこそ、自民への批判として、あえて公明という選択をしてほしいのです。

最後に私の本音

最後に本音を書かせていただければ、自民でも公明でもなく、共産党や社民党、みとりの風、生活の党といった政党の候補者に投票してほしいと思います。さすがに民主党は愛想が尽きましたが、それでもずいぶん勉強もしたでしょうし、反省もしているでしょう。現実的には自民に代わる受け皿になりえるリベラル指向の保守政党が民主党(私から見れば民主党は保守です。決して左翼とは認めません)ですから、自公連立への批判票という意味では民主党でもいいかもしれません。

本当は、アベノミクスも、TPPも、原発再稼働も、消費税増税も、自公政権がやっていることはすべて反対です。しかし、そんなことはここで書くことではないでしょう。しかし憲法だけは、政治的スタンスの差を越えて保守支持者のみなさんと共有できるものがあると信じています。

とにかく、私が訴えたいことは、自民党憲法草案のような改憲だけは、将来の日本のためにも絶対に阻止しなければならない、そして今度の選挙は日本が危険な方向に進むか、それとも踏みとどまるかの重大な岐路だということです。そうでなければ、わざわざ安倍政権に反対する私が公明への投票を呼びかけるなどということもなかったでしょう。それほど私は危機感を持っています。

この文章は、決して党利党略や、特定の政治勢力の利益のために書いたものではありません。あるいは、こんな文章を書いたら左翼の知人に怒られるかもしれません。しかし私は自分が生まれ、育ったこの国の社会が、目の前で破壊への第一歩を踏み出すことをとても見ていられないのです。

私の一票や、私の付き合いのある周辺の知人の票、左翼の票だけでは、いや、今回は左派が束になってかかっても、自民党の暴走を止められそうもありません。ですから、自分の普段の主義主張を捨てても、良識ある保守主義者のみなさんの力を借りて、自民党の暴走を食い止めたいと思い、この文章を書きました。

できるだけ短くと思いましたが、ずいぶん長くなってしまいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

2013年5月18日土曜日

橋下市長の慰安婦必要発言

大阪市長の橋下君のツイートによれば
日本は悪いことをした。しかし日本だけが特別なんじゃない。当時は世界各国同様のことをしていた。だからと言って日本を正当化するわけではない。日本は悪かった。しかし、日本だけを不当に侮辱するのは止めろと言う議論だ。
ということらしい。

しかし、日本(とドイツ)だけは特別だった。日本政府の関与云々とは無関係に、民間が運営していたとこになっているとしても、日本軍の慰安所での慰安婦の待遇はダントツに悪かった。「慰安婦」という呼称と違い、まさに「性奴隷」だったから国際的に日本だけが非難されているのだということを橋下君はしらないんだろうか。
その上で、戦時性暴力については、日本の従軍慰安婦問題から国際的な方向に進んだ。主に日本を対象としていたクマラスワミ報告の後にはマクドゥーガル報告なども出され、すでに議論は国際的なものになっている。日本だけが戦時性暴力で非難されているわけでは決してない。

また米軍も実際、性犯罪や、軍内部での性暴力など、この問題でとても苦しんでいる。だから橋下君の不用意な発言が米軍司令官を凍りつかせ、「風俗はオフリミットだ」言わせた。さらに米国は過去の奴隷や侵略の歴史でいまだに苦しんでいる。米国は自分たちが抱える関連する問題の解決に必死になっているのに、「当時としては必要だった」という、まるで当事者意識が欠如した発言、それもよりによって世界最大級の人身売買国として監視対象になっている日本から発せられた橋下君の脳天気な発言に、サキ報道官が「言語道断で不快だ」というのは当然だろう。

こんなことは、普段から人権やこの種の問題に関心があれば常識の範囲ではないだろうか。今さら「日本だけを不当に侮辱するのは止めろ」、「日本もアメリカ同様、人権を尊重する世界を目指していく」なんて言ってカッコつけてみせたところで、結局は最初の暴言を糊塗するための思いつき的な言い訳なのだが、そこで引き合いに出される米国や沖縄こそ、いい迷惑だ。いや、迷惑というより、サキ報道官の表現を借りれば、"outrageous and offensive"ではないのか。

「みんな悪かったんだから、みんな反省していい世界にしよう」みたいな橋下君のお題目は忘れてよろしい。まず日本の深刻な人権状況を振り返って「どうすれば人権を伸張することができるのか」を考えて、それに向かって必死に努力してからでも遅くない。

2013年4月14日日曜日

日本式コーヒー、あるいはコーヒーにおける匠の技

日本式コーヒーをご存知だろうか。

ポットにフィルターをセットし、注ぎ口の細いポットでコーヒーの粉を湿らせて30秒ほど待つ。
粉が十分に湯を含んだところで静かに一投目の湯を注ぐ。
湯温は90度を目安として目的とする味にあわせて温度を調節する。
コーヒーの粉がフィルターの中で形成する壁を壊さないように、数回に分けて静かに湯を注いでできあがり。

あ、それから、飲むときにはブラックで、砂糖も入れないのが日本式(?)だ。

何のことはない、日本では珍しくもないドリップのコーヒーなのだが、これが欧米人の目には何ともエキゾチックに見えるらしい。特に、日本のコーヒー専門店に行くと、一杯ずつペーパーフィルターで入れてくれるのが珍しいらしい。
数年前のニューヨーク・タイムズのコラム、Coffee’s Slow Danceと、この記事を紹介しているThe Kitchenというサイトのコラム、Japanese Slow Brewed Coffeeという文章を読むと、珍しくもないペーパー・ドリップがどうやら実はかなり特異な、しかしちょっとしたコーヒーマニアもうならせるコーヒーの飲み方であることがわかる。
ちなみに日本はアメリカ、ブラジル、ドイツに次ぐ世界第四位のコーヒー消費国だ。

考えてみると、外国で飲むコーヒーは、ちゃんとしたバリスタがいれたエスプレッソを除けば、かなりいい加減なコーヒー、というか、要するに、まずい。どういうことなんだろうと思って調べてみると、外国では日本の専門店のように丁寧にコーヒーをドリップしたりはしないということがわかる。
おいしいコーヒーのいれかた、みたいなキーワードで海外のサイトを検索してみると、ろくなページがない。粉をむらす、なんてことも書いてないし、コーヒーの壁なんて概念もどうやら存在しないらしい。
海外でペーパードリップというと、メリタ式が主流なんだけど、このメリタ式というのは日本で良く見かけるカリタ式と違って、少々細かめに挽いた粉を入れてドバッと全ての量の湯を注いでできあがり、という入れ方をする。最近は円錐形のフィルターも使われているみたいだけど、これも同じように粉を入れて一気に湯を注いでできあがり、という使い方をするらしい。
どこのサイトだったか、ネルドリップの説明がすごかった。

ネルで作った袋に挽いたコーヒーの粉を入れて湯を注ぐ。
以上。

確かに、それでもいいんだけれど、日本人としてはネルドリップというのはドリップコーヒーの極みに位置する方式とされ、素人がむやみに手を出すもんじゃないと思われていたりする。といっても、実際にはペーパーフィルターと基本的には同じなのだけど、ペーパーフィルターの時より湯の通りがいいので、少しずつ湯を注ぐコントロールがちょっと難しい。上手に入れれば、ネルドリップ独特の深いコクのあるコーヒーが楽しめる。

ちなみに、ネルドリップという方式は、かなり歴史が古いらしい。オスマントルコからヨーロッパに入ったコーヒーは、最初のうちはトルココーヒーみたいに粉を濾さずに飲んでいたという。粉が不愉快だと感じたイギリス人が粉を濾すには木綿のフランネルが最適だということを見つけた。
ぼくの勝手な想像に過ぎないのだけど、最初は鍋にコーヒーの粉を入れて煮出し、それをネルで漉していたのではないだろうか。粉を鍋に入れず、ネルのフィルターに入れて湯を注ぐというドリップの発想は、画期的だと思う。鍋で煮だすと、どうしても香りが飛んでしまったり、雑味が出たりする。粉に湯を注ぐことで、コーヒーの香り高いおいしいコーヒーができるわけだ。この時のレシピこそ、「ネルで作った袋に挽いたコーヒーの粉を入れて湯を注ぐ」というものだったんだろう。

その後、ネルの手入れがめんどくさいとか、湯の注ぎ方によって味にばらつきが出ることに注目したのが、ドイツのメリタ夫人。彼女が考案したメリタ式はとても合理的な方法で、粉の挽き目さえバッチリ決まっていれば誰がやっても安定しておいしいコーヒーが飲めるというので世界に広がった。なお、日本でよく見かける三つ穴で側面のリブが長いカリタ式フィルターは、湯が滞留する一つ穴のメリタと違って湯の通りがよく、ネルドリップに近い。そのため、カリタ式では挽き目はメリタ式より粗めで、湯を注ぐ時のコントロールが要求される。
それに対してイタリアでは、 上下の容器を連結して湯が湧いたらクルッとひっくり返すナポリ式のポットがかつては有名だったけれど、20世紀に入って高圧急速抽出という画期的なコーヒーの入れ方が考案されて、モカポット(マキネッタ)や各種のエスプレッソマシンが登場した。イタリア人はケチだけど味にうるさいのでエスプレッソが広がったというが、エスプレッソなら少量の豆でコーヒーのおいしさを完全に引き出すことができると言われる。現在、欧米の高級コーヒーはエスプレッソが主流になっている。
さてアメリカでは、パーコレーターだとかネルドリップやペーパーフィルターが使われていたようだが、その後、便利なコーヒーメーカーの登場で今では手作業で湯を注ぐなんて面倒なことをするよりは、コーヒーメーカーでボコボコと作っちゃうのかもしれない。
余談ながら、アメリカのコーヒー(アメリカン)は、苦味が少ない浅煎りの豆を使うという。これに対して「アメリカーノ」は、第二次大戦でイタリアに進駐した米兵にはエスプレッソが濃すぎて飲めず、湯で薄めたコーヒーだと言われている。
この他、フランス発祥のフレンチプレス、化学実験の道具みたいなサイホン、ジャワを植民地にしていたオランダがジャワのコーヒーを飲むために考案された水出し用のダッチコーヒーの器具など、ヨーロッパにはさまざまなコーヒー器具がある。
まあ、どんな方法であれ、コーヒー豆を挽いて、その粉に湯をかければコーヒーができる。外国人にとって、コーヒーのフィルターなんてのは、粉が口に入ると不快なので、それを取り除くものとしか思われてないのだろう。よく調べれば、それでも海外のサイトにも、フレンチプレスや金属フィルターはコーヒーのオイル分を通すからコクが出るとか、それなりのウンチクを書いてるサイトもあるのだが、フィルターの種類なんかよりはむしろ、おいしさを決める要因としてはコーヒー豆の品質の方に比重が置かれることが多い。

日本式コーヒーは、欧米諸国のように、新しい器具を考案して楽においしくコーヒーを飲もうという発想ではない。ネルやペーパーフィルターといった旧式の方法を使っておいしいコーヒーを飲むための技術を開発し、研ぎ澄まされた匠の技に集中した結果が日本式コーヒーであり、冒頭に書いたような形で定式化された方式で抽出したコーヒーなのだ。
抽出技術をストレートに反映させるには、一度セットしたら触りようがない複雑な器具よりも、ペーパーフィルターのようなシンプルな器具の方が好都合。エスプレッソマシンなんて、バリスタの手が及ぶのは挽き目とタンピングぐらいしかない(というと文句言われそうだ)が、ドリップなら「蒸らし」から湯の量やスピードの配分など、ほぼすべての過程がコントロールできる。同じ豆でもおいしいコーヒーになるか、まずいコーヒーになるかは、ひとえに喫茶店のマスターの抽出技術にかかっているわけだ。

なお前述のダッチコーヒーだが日本ではコーヒー専門店などに置いてあるのを見かけることがある。本来のダッチコーヒーというやつはよく知らないのだけど、一晩かけてゆっくりと抽出する水出しアイスコーヒーも、海外では日本式と言われるらしい。つまり本家のオランダでは、大昔に廃れてしまった方式なのだろう。一滴、一滴と、時間をかけてゆっくりと、丁寧に、というあたりが西洋人には東洋的なエキゾチシズムを感じさせるのかもしれないが、ぼくとしてはあくまでも日本式コーヒーの真髄は研ぎ澄まされたドリップの技術にあると思う。

余談: 抽出法というわけじゃないけど、日本式コーヒーの特徴は「ブラックで飲むべし、この場合ミルクはもちろん、砂糖も入れない」という点と、「純粋なストレートを重んじる、ブレンドは不純な混ぜものコーヒー」というあたりもあると思う。
欧米でブラック・コーヒーというと、ミルクを入れず砂糖だけで飲むコーヒーのことだけど、日本では砂糖も排する。ミルクや砂糖はコーヒーが持つ本来の味を損ない、味がわからなくなるからだ。これはその通りで、コーヒーのカッピングなんかでは当然ミルクや砂糖は入れない。
しかし、これはまあ、好き好きというもので、最終的なコーヒーという飲料をおいしく飲むためにミルクを入れたり、砂糖を入れたり、あるいは先日書いたようにバターを入れたりと、いろんなバリエーションを楽しめばいいのだが、まあ、日本じゃそういうのは「邪道」とされる、ということ。ちなみにぼくは普通コーヒーを飲む時はミルクも砂糖も入れない「日本ブラック」なんだけど、これは好き嫌いというより、いちいちミルクや砂糖を入れるのがめんどくさいから。いい加減な喫茶店でまずいコーヒーを注文する場合、ミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んだりする。
ストレート・コーヒーを珍重するのは、これはあまり良い意味ではない日本的な純粋至上主義じゃないかと思う。ヘタなストレート・コーヒーより、しっかりしたブレンド・コーヒーの方が絶対おいしい。ただし、最近は日本にも上等なスペシャルティ・コーヒーが入るようになって、そういうやつだとストレートでもイケるんだが。なお、ストレート・コーヒーと言っても、並みの出荷地の名前がついた「ストレート・コーヒー」は、出荷地であちこちの農園の味が違う豆がごっちゃまぜにブレンドされているので、考え方によっては一種のブレンド・コーヒーなんじゃないかと思う。